【雑記】オオカミ少年の話。そして自分に対する扱いは、自ら変えることができる、という話し。

query_builder 2023/06/30
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Gray and Brown Aesthetic Baby Photo Collage (4)

他者からどう扱われたいかを決めていて、
さらにはその扱いを引き寄せてしまっているのは、
やっぱり自分なんだろうなぁ、と思う。

なかなか、自分自身の在り方を振返ってみて、
気づくのは難しいことなのだけれど。

他者がどのような言動・立ち居振る舞いをしていて、
その結果、どういうふうに見えていて、
どう思われて、どう扱われるか…というのを
つぶさに観察してみて、気づくことが多い。

そういう意味でも、他者の存在というのは、
本当にありがたいものだと思う。


ある方が、仕事の約束をするたびに、
体調が悪くなる、身内に対応しなければならない問題が起きる、
とリスケ、リスケを繰り返しているのだけれど。

運よく出会えたタイミングで、
まず言い訳から入る。謝罪ではなく。
そして、1時間の打合せの枠の前半の20分を
その自身の身の上話で消費させてしまう。

予定していた仕事の話は、結局、毎回進捗がほとんどない。

これを繰り返していると、
最初の頃は、「大変なんだろうな」「お体、大丈夫かしら?」
と心配や同情心も持っていたのだが、
だんだんと、信用をなくしていく。

オオカミ少年の童話に近い話だろうか。

実際に、本当に身の上に不都合なことが起こり続けていたとして、
誠意をもってやるべきことに対処しようという姿勢を見せ続けていたのであれば、
信用を落とすことまでにはならなかったのかもしれない。

言い訳をし続けることで許されてきた過去から現在までだったのかもしれない。
そのやり方が、ずっと通用すると思っているから、
そうし続けているのかもしれない。

だけれども、その人の交友関係を見てみると、
やはり、その人がやっていることと同じことをされて、
文句を言っている相手ばかりが目に付く。

同じことをしているのにな…と、
第三者から見ると明白なのだけれど、
本人だけが気づかない。

自分は悪くない。
悪いのは、周りの人だ。
自分をそういうふうに扱う、周りの人が悪いのだ、と。

そのような扱いを自分にし続けているのは、その人自身なのに。
そのような扱いを自分にも他人にもさせ続けているのは、
その人自身でしかないのに。


さて、わたし自身のことを振返ってみて。
ひどい目に遭っているなぁ、と思う時期が多々あったのだけれど。
今なら気づける。
そのひどい目に遭わせる、ということを自分自身にも、
他人にもゆるして、させ続けていたのだ、と。

例えば、仕事の約束を平気で破られる。
そのときにわたしはどうしていたか?
そういうときもあるよね、と自分の都合はさておき、
相手に自分の都合や感情を伝えることなく許していた。

そうすると相手は、約束を破っても許してくれる人なんだ、
と、わたしのことを認識する。
そして、何度でも平気で約束を破ってくる。

自分の部屋を解放してどなたでも受け入れていたとき、
部屋にあるすべてのものを、あたかも自分のもののように扱われたとき、
わたしはそれを黙認していた。

そうすると、相手は、それも許されるんだと認識する。
そして、わたしの部屋にあるものを勝手に飲食し、
満たされなければさらに「足りないから買ってきてー」とまで言い出す。
さらには、わたしが来客用に準備している贈り物を
「ここの部屋にあるものは何でも持って帰っていいのよー
 私は今日、これだけ持って帰るから、あなたもどれかもって帰れば?」
と、平気ですべてを持ち帰りかつ、別の人にまであげてしまうという事態まで起きた。

俗にいう、ジャイアンってやつですな。。

そういうことが、様々な場面で起きた。

わたしの発信した情報、わたしの人脈、わたしがお金を出して購入した物品、
わたしがアイデアを出したもの…

それらすべてをあたかも自分のもののように、
勝手に扱われ、勝手に第三者に配布される、ということが多々起きた。


形而上学(メタフィジクス)の学びの中に、
善悪の定義として、やってはいけないこと、というのが
明確に規定されているのだけれど。

その中には、
「他者のものを奪ってはいけない」と共に、
「奪わせてはいけない」ということも明確に謳われている。

単純に「奪わない」ということであれば、
常識的にもやらない、と意識することもできるが、
この「させない」ということが、それよりも大事なのだ、と気づかされる。

結局のところ、そうさせているのは自分自身に過ぎないのだから。


さて、わたしたちは、
自分が不快だと思う出来事が起きたときに、
単に「相手が悪い」「運が悪かった」で終わらせてしまっていないだろうか?
一度めは確かに、「運わるく、そんな出来事に巻き込まれてしまった」
ということもできるかもしれない。
だけれども、その出来事を繰り返し繰り返し経験しているのだとしたら、
あなた自身が、あなた自身をそのように扱っていたり、
そのように扱われることをゆるし、黙認し続けているのではないか…
ということにも向き合ってみることも大事かもしれない。

自分はどういう扱いを受けたいか、ということは、
自分で決めることができるし、そのように変えていくことができる。

ただしそれは、自分の行動を変えたときのみ。
といえるのではないだろうか。

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7の部屋

住所:東京都豊島区池袋

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