【みんな一緒】という幻想が、ものごとの進行や関係性を阻害している可能性もある、という考察。

query_builder 2024/01/14
瞑想宇宙周波数
パズルのピース

みんなでやる、という幻想。

複数人で何かを成し遂げるというときに、
関わるすべての人が、同等に、
同じ情報をすべて把握していなければならない…
というのは、制限のある肉体を持った人間がやる場合に、
少し限界があるんじゃないだろうか?

もちろん、無限の時間をかけて、
無限の忍耐力をもって、それでも成し遂げたい、
というのであれば、それもあり。

だけれども、やはり肉体をもった、個体(個別)である、
ということを尊重するのであれば、
すべてを均等に、均質に、というのは効率が悪いのだと思う。

有機体である肉体を考えたときに、
その機能がいかんなく発揮されているのは、
即時性(テレパシー的な情報伝達のようなもの)が
働いているからなのだと思う。

即時に情報をすべての人に均一に(認識も過たずに)伝えることができる、
という幻想を離れる必要があるのではないだろうか?

情報を伝える際に、言語を一旦介さなければならない。
このときに、

自分自身の思い⇒共通の言語⇒情報化⇒相手の理解

という流れを介さざるを得ないのだけれど、
まず、自分の思いや考えのすべてを的確に言語化することも難しく、
ここですら抜け漏れが生じるわけだし、
共通だと思っている言語についても、経験や知識のちがいによる
認識の差も生じる。
そして、その理解度を確認するために用いる相手から発せられる言語についても、
同様に誤差が生じる。

この理解度の確認という作業をしている間に、
実際には、個人が任せられる・処理できる範囲の仕事を
着実に・確実に実行してもらった方が、
実は作業効率的にも、作業の正確性においても優位なのではないか?

そう、
制限のある肉体の限界というものを考えたうえでの、
情報の伝え方、使い方、
そして役割分担ということを構成・構築していった方が、
むしろプロジェクトや組織はうまく機能するのではないだろうか?

みんな一緒、すべて一緒、という幻想から離れた方が
実はうまくいくのではないかという考察。

そしてそれは、多様性を認める、
自分と他人はちがう(だけれどもどちらも美しい)
と認める勇気、なのかもしれない。

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7の部屋

住所:東京都豊島区池袋

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